ポーカー無宿64「ライブハウスみたいな教会と自分大好き教」

 

先週の日曜に、教会へ行ってきました。

僕は家系的に浄土真宗なんですが、Lukeがクリスチャンなので、一緒に行ってみました。

家は引っ越しとなりましたが、Lukeとは結構会っています。

 

この日は、Lukeの友達のJasonとAdora夫妻も一緒でした。

二人はなんと宣教師です。

宣教師って職業の方に初めてお会いしました。

国際的な組織に属しているらしく、Lukeが台湾にいるときに知り合ったとのこと。

 

宣教師かー、、と驚いていると、

「今の時代は、勝手に玄関のドアを叩いて〝あなたは神を信じますか?〟とかやってないから安心してね」と言われました。

ちょっと警戒しているように映ったのでしょうか。

 

さて、教会に着いたわけですが、入り口はこんな感じでした。

なんだかモダンで、僕がイメージしていた教会とはほど遠かったです。

 

 

中には結構な数の人がいます。

若い人も多いことに驚きました。日曜の朝ですよ。

 

しかし、どこにも十字架やキリストの銅像などありません。

なんだか、ライブハウスみたいだな。と、思っていると、、、

 

 

現にライブが始まりました。

しかも上手い。

 

ステージの左右にあるスクリーンに、歌詞が表示され、みんなでJesus! Jesus!と大合唱します。

 

その後は、

話術巧みなおじさんが壇上に登場し、聖書の一節を面白おかしく講釈していきます。

一時間くらいは話していたでしょうか。しかし、聴衆は飽きる様子も無く、時折、大きな笑い声が起きたりします。

NHKでたまにやってる、「スーパープレゼンテーション」って番組みたいでした。

 

 

ちょっと、キリスト教の宗教の感覚が変わりましたね。

何というか、

思っていたよりも軽く付き合える感じがしました。

 

 

でも、

キリスト今日を熱心に、という心持にはなりませんでした。

もちろん、必要な人にはあっていいんじゃないかな、と思いますよ。

 

なんと言うか、

人に与えられた教義を受け入れるよりは、自分の心のずっと奥から出てきた感情を大切に生きた方がいいんじゃない?という意見を僕は持っています。

〝答えはきっと奥の方、心のずっと奥の方〟ザ・ブルーハーツの「情熱の薔薇」のような意見です。

 

簡単に言うと、

僕は自分大好き教なので、あんまり宗教は必要ないかなーという感じです笑。

 

そんな自分大好き教の僕ですが、大切にしている教義一つあります。

「三ヶ月後に死ぬと思って生きる、永遠に生きると思って学ぶ」ってことです。

 

元ネタはご存知だと思いますが、ガンジーの「明日死ぬと思って生きる、永遠に生きると思って学ぶ」 です。

 

が、

これだと行動が極端になりすぎです。いつも答えが、最後の晩餐に卵かけ御飯を食べたいとか、最愛のあの人に会いにいきたいとか、そんなアクションになってしまいます。それでは、学び積み上げる時間がとれません。

それで、ちょっと期間を延ばしたわけです。

 

大抵は、

人生が長いから毎日が曖昧になっちゃう。それがモチベーションに影響しちゃうんでしょう。

いるかいないかわかんない神様を祈るより、

毎日を曖昧にせずに生きる方がずっと成功する確率が高まるんじゃないかな?って思いました。

 

 

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