買った!(1)2000 Harley-Davidson FXSTS Springer Softail

 

バイクに乗ろうと思ったとき、日本の旧車に乗りたいと思いました。

『特攻の拓』に出てくるようなバイクですよね。

ちなみに『疾風伝説 特攻の拓』というタイトルですが、「かぜでんせつ ぶっこみのたく」と読みます。初見殺しです。

高校の時に付き合っていた彼女が入院していたときに、『特攻の拓』を全巻病室に届けて、ナニコレ?という雰囲気になったのはいい思い出です。

 

想像してみて下さい。

アメリカの荒野を、爆音を響かせて駆け抜ける日本の単車────。

それも、1980年頃に作られたような旧車なんですよ。

当時の日本人男児の、情熱の結晶です。

とても浪漫を感じませんか?

 

そんなわけで、超絶カッコいい旧車を手に入れよう!という冒険が始まりました。

 

幸の本業は物の売り買いなので、

ハナから「店で売ってるものを買う」という気はなかなか起こりません。バイクの目利きは素人ながら個人売買に挑戦です。

バイクはさっぱりな僕ですが、知っているバイクが2台だけあります。

死んだ爺ちゃんが乗っていたHONDAのCUBと、自分が高校生の時に乗っていた原付、HONDAのDIOくらいです。DIOと聞くと荒木飛呂彦先生の『ジョジョの奇妙な冒険』を思い起こしますね。

幸は三重県の山あいの小さな村に実家がありまして、車で10分くらいで温泉に行けるような自然豊かな所で生を受けました。

小学校まで歩いて40-50分くらいかかるので、登下校が大変でした。帰り道に爺ちゃんが乗ったCUBが通ると、後ろに乗せてもらったものです。ノーヘルの二ケツ。あのCUBの固い鉄の平べったい荷台の感触は今でも鮮明に覚えています。

爺さんが亡くなった後、近所に住んでいる旧友が線香を上げに来ました。そして、車庫に停めたままになっていたCUBをどうするかって話になって。試しにエンジンをかけてみるか、となったんですが、なかなかかかりません。「これはもうポンコツやなぁ」なんて言うもんだから頭に来て。俺がエンジンかけたるわ、と。当時のバイクはレバーを足で蹴ってエンジンをかけるのですが、全然かかりません。何度も何度も二十回も三十回も蹴ったのを覚えてます。そしたらね、かかったんですよ!あの世の爺さんが手伝ってくれたんかなーって気がして。

あの後CUBはもらわれて行きましたが、最後に爺さんのCUBのエンジンをかけれたのは本当に良かったなと、今でも思っています。これが僕のCUBの思い出です。

爺さんは脳梗塞である日突然喋れなくなって、半身がマヒして、病院で亡くなりました。今では、それは降圧剤のせいなんじゃないかな?なんて思っています。年をとって血管が弱って体に血が廻りにくい状態なのに、血圧を下げてどうするの?って。なので、婆さんや両親が降圧剤を飲むのは止めてほしいな、って思って折に触れて話をしていますが、本人が自分で調べて出した結論ならそれはそれで結構です。

 

さて、

次はHONDAのDIOです。高校生で「特攻の拓」や「永遠の詩」なんて読んでいたら、バイクに乗りたくなりますよね。そんな時に、姉貴が乗っていたDIOが空いた(?)んです。通学で使っていたけど、バイクと相性が悪かったんでしょうか。理由はわかりませんし、そんなことに興味を持てる年でもないので覚えていません!「何とかして空いたDIOに乗れないか!?」という気持ちで胸と頭は一杯です。

当時の僕は、確か高校2年生だったかな。同級生のTと二人で、「夏に原付で走ろうぜ!」という話題で持ちきりに。古谷実先生の『グリーンヒル』な感じですね。二人ですぐに原付免許について調べました。

幸が通っていた高校は、三重県で一番頭のいい進学校でした。もちろん原付は校則違反です。

なんと僕はその中の特進科にいました。

学年の生徒数が400名。
80名が特進科 2クラス
320人が普通科 8クラス

撲とTは、学年順位で340位とかを取ることがザラで、特進科の落ちこぼれでした。先生に、「340位って君たちほんとに特進科?」なんて冗談でよく言われたものです。(先生は超いい人でしたよ)

原付が校則違反といっても、その当時僕とTは教室で『AKIRA』を回し読みしていたので、単車や多少ピーキー過ぎる遊びがちょうど良かったのです。

原付計画にほどなくして、もう一人の友達が合流。今は連絡先も知りませんが、昔はメールアドレスがletmebemesoletmesee@docomo.co.jpでした。

EminemのWithout Meの歌詞なのでよく覚えています。

 

学校に行くふりをして、

駅のトイレで制服から私服へ着替えて、学校とは反対側へ向かう電車に乗り換えます。目指すは運転免許センターです。

3人で地図や標識を頼りに試験会場へ到着すると、そこには、それこそ『特攻の拓』に出てきそうな風貌をした少年少女がたくさんいました。鈴鹿が近いので、暴走族の文化が残っているんだなーと。

普段は高校で授業を受けている時間でも、場所を換えたら全く別の世界が存在するんだ!と思ったのをよく覚えています。

 

免許を取った後はすぐに親にバレて、両親には膝を付け合わされ説教されました。しかし、どう話をねじ込んだのか、なぜかDIOに乗れることになりました笑。田舎生まれの末っ子長男には特殊な力がありますね。中国の小皇帝のようなものです。

 

さて、

DIOは世界を広げてくれました。

四日市や富田あたりで遊んでいましたが、DIOを得てからは鈴鹿方面に住んでいる同級生の家に遊びにいったりすることが増えました。彼は遠方に住んでいたため、最初から原付通学が許可された地域だったのです。こうして、原付仲間で集まって、徹夜で麻雀して、昼頃に帰宅、なんて生活をしたりもしていました。スロットに出会ったのもその時ですね。『アステカ』の実機が置いてあって、デカチリを狙ったりしました。

そこで知った麻雀やスロットが、ポーカープロになったルーツかなと思います。また、そこで聴いたバンプ・オブ・チキンの『天体観測』が弾きたくて、ドラムもやりました。

 

全部DIOが広げてくれた世界ですね。(まさに「ゴールド・エクスペリエンス」ですね!)

 

そんな落ちこぼれの面々でしたが、なんと高校三年の後半から学力が急激に伸び、なんと、原付を取りに行った3人は仲良く揃って早稲田大学の法学部に合格するのでした。

 

続く(バイクの話書きますね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です