今日の取引は、
後で振り返れるように録画してみました。
録画していると思うと、少し慎重になる気がしますね。
感情って本当に面白い。
そして、感情が結果に直結するトレードもまた面白いと思いました。
-$802
累計収支 -$14040 ※シミュレーション
まあ、負けましたが。
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投資について思う事があったので。
僕の個人的な感想を書いてみたいと思います。
「投資」という言葉はよく耳にしますが、皆さんどんなことを想像しますか?
最近の投資とは、目先の差額を求める、ということに終始しているな、と思います。
目先の利益を求めていて本質を失うという話は多いですよね。
僕は「投資」という言葉を聞くとこんな話を思い出します。
Twitterで過去に見た話です。
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主婦のAさんがいて、彼女にはとても好きなバターがありました。
でも、近所のスーパーには置いていなくて、購入し辛くて困っていました。
Aさんは、そのバターはとても良い物と確信。
少し遠いスーパーには売っていたため、遠いスーパーの付近へ用事があったときは購入するようにしていました。
Aさんは近所のスーパーでもそのバターを買えないかな、と思いました。
近所のスーパーには「お客様の声」を投書するコーナーがあって、Aさんはここに手紙を送ってみることにしたのです。
しかし、反応はありませんでした。
でも、Aさんは諦めません。
お客様の声を、毎週書くことにしたのです。
3か月くらい経った頃でしょうか、
近所のスーパーを訪れたAさんは我が目を疑いました。
そこには例のバターが並んでいたのでした。
Aさんの夫は「おお、遂に。やったじゃん」と言いましたが、
Aさんの考え方は違いました。「ここからが勝負です」と。
スーパーに並んでいるバターはたった2個。
Aさんは迷わず2個とも買い占めました。
しばらく日を空けて近所のスーパーへ行くと、
Aさんはまた例のバターが2個並んでいるのを見つけました。
そしてまた、2個とも買い占めます。
「バターなんて月に1個も使いきれないだろう」という夫の言葉も意に介さず、Aさんはまだまだバターを買うのです。
食べきれない分は近隣の友人に配ったりもしていました。
しばくして、
スーパーに変化が起こりました。
2個しか並んでなったバターが、10個並べられるようになったのです。
Aさんは「やっとこの時がきた、、」
Aさんは全てのバターを買い占めませんでした。
前回と同じように2個だけ買ってその日は帰りました。
数日後にスーパーにいくと、そのバターは売り切れていました。
Aさんは「やった」と思いました。
それからは毎月そこそこの量のバターが入荷されては、順調に売れていくようになったのです。
Aさんには、最初からこのビジョンがあったのです。
このバターはもっと認知されみんなに愛されてしかるべき商品だという確信があったし、
近所のスーパーで購入出来たら便利になるという願いもありました。
Aさんは最初に、お客様コーナーに投書をするというちょっとした仕事(投資)をして、
2個並んだ商品を買い占めるという金銭的投資をして、
スーパーに働きかけを行ってムーブメントを作ったのです。
バターを時々買い占めたところで、せいぜい合計1-2万円くらいの出費ではないでしょうか。
合計1-2万円と時間的投資で、近所のスーパーでお気に入りのバターを手にできるようなった、というのはプラスだと思いますか?
その答えは、Aさんが決めたらいいことだと思います。
愛用品を近隣スーパーですぐに入手できる利便性や、自分が好きな商品を他人に知ってもらう喜びなど、幸福はAさん本人にしか量れない領域の話だからです。
このような世界が望ましい、という自分のビジョンがあって、そこに近づけるのが投資で、お金はそのためのツールだと思います。
この企業めちゃくちゃ酷いことやっとるな、でも株価上がるから買うか、なんて考え方はやはりお粗末なんじゃないかな、と思ってしまいます。
以上、僕の好きなバターの話でした。
皆さんどう思いますか?